活動報告

2004年11月

「心とディナ−の夕ベ」特集

2004年11月 森英恵氏をお迎えしての「心とディナ−」の夕べの特集号をお届けします。

 心とディナ−の夕べの会長あいさつ

みなさま、今晩は。 JOIN広島の会長の高橋真弓でございます。 本日はお休みのところ、また夕暮れ時のお忙しい時間に、私どもの「心とディナ−の夕べ」にご参加いただきまして本当に有難うございました。「心とディナ−の夕べ」は広島ゾンタクラブの時代から数えると16回目になりますが、JOIN広島として開催するのは3回目となりますので、今回から第3回「心とディナ−の夕べ」とさせていただきました。ずっと私たちを応援して毎年ご参加くださっている方、また今回初めてご参加いただいた方、本当にありがとうございます。 JOIN広島は平成14年4月に設立しました。JOIN広島という名前は Will you join us? ご一緒しませんか?いう意味で名づけました。専門職、管理職、同様の職業経験を経た女性たちの小さなボランティアグル−プですが、一人一人の力は小さくても、みんなで力を合わせてがんばっていこうよ、ということで活動を行っています。 Join広島では、毎年、心とディナ−の夕べで、社会に貢献を続けていらっしゃる組織や団体寄付をさせていただいております。 また、去る10月23日には新潟県中越地震が起こり、今なお多くの人が家や職場を失い、健康被害も日々報じられているとおりです。私事ですが、私は開業医をしており小さな高齢者の入所施設を運営しております。先日広島を直撃した台風18号で、病院が停電になり大変困りました。午後2時ごろに急に停電になったのですが、停電になるとエレベ−タが動かない。そうすると配膳者で厨房から病棟に食事を運ぶことが出来ない。それで、他の部署の職員も総動員して一人一人の食事をお盆で病室まで運びました。暗くなっても電灯がつかず、懐中電灯のあかりをたよりに食事をご自分で食べることが出来ない人の口に運びました。夜10時ごろのようやく電気がともりほっとしました。たった8時間の停電でも予備能力のないお年よりをかかえた施設では本当に大変な事態になることを実感しました。それでもガス、水道は大丈夫でしたので食事を作ることが出来、またトイレも流すことが出来ました。心身の障害を持つ高齢者の施設の中で、水洗トイレが使えないとどうなるか?想像しただけでぞっとしました。テレビの報道では1週間以上経ってもまだ3分の一の高齢者施設の水道が復旧していないとありました。 JOIN広島でも、本日の売上金、そして会員の寄付をあわせて中国新聞を通じて緊急に新潟県中越地震の被災者の方々への支援をおこなうことを決めました。改めてみなさまに感謝申し上げます。 また、今年の7月には、心とディナ−の夕べを予定しておりチケットを購入して下さった方も多くいらしたと思います。講師の急病のためキャンセルを余儀なくされ、大変ご迷惑をおかけしましたこと、この場を借りまして改めてお詫びを申し上げます。でも今夜はこんなに多くの方にご参加いただき会員一同感激しています。本日11月3日は文化の日です。日本の文化を原点にして世界に蝶のように高く飛び立っていかれた飛び切り魅力的な女性、森英恵氏と出会えること、私の心もワクワクしています。   2004年11月3日が皆様の心に残る記念すべき素敵な一夜にしていただけるよう会員一同がんばっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

講演記録

感性豊かな生き方 森 英恵 氏

いつも大切にしてきた日本人としてのアイデンティティ

私はファッションデザイナーとして、これまで外国のあちらこちらに行ったが、いつも問われること、そして自問することは「あなたは、日本人なのよ。」ということだ。日本からダイアモンドや石油が採れるとは、未だ聞いたことがない。水と米、そして人が優れていることが日本のセールスポイントである。この国の売り物は、人間というソフトパワーである。日本人は、質はいいのに、自分を表現する力に欠けている。魅力的に自分の個性を表現するのが下手である。かつて、私が初めて、ニューヨークの5番街を歩いた時、遠くのショーウィンドウに、ヒョコヒョコ歩く東洋人の姿が見えた。近づいてみると、何と自分だった。日本では美しい歩き方というものを習わないが、人間の基本的な姿は、歩き方にある。自分を上手に表現する力が、もっとあれば、内容も外側に表すことができる。最近でも、外国で格好いい東洋人を見て、近づくと、日本人でないことが多いのは、とても残念である。パリにやって来る日本人は、トップモードを着ている。しかし、流行のものは、そこだけ浮いて目だってしまう。流行のものを身に着けることで、自分が時代の中心にいると錯覚ししまうのかもしれないが、そこには自分が表現されていない。一番大事なのは、自分自身の個性に磨きをかけて、他人との違いを際立たせることである。

わたしの人生を変えたパリへの旅

私は初め、映画の仕事をしていた。しかし段々と、映画が斜陽になり、衣裳も必要なくなっていった。また日本人のライフスタイルに、洋服というものが本当に合うのだろうかという思いにかられ、大きな壁にあたっていた。そこで、初めて長期の休暇をとり、1961年にパリに行った。1ヶ月、自分の人生の中で、一番贅沢なバカンスをとった。帰国後、これからどうしようかと考えた時、外国のデザイナーたちが競争している中で、自分もやってみたいと思った。それで、戦後の日本に一番、影響を与えたアメリカでやってみようとニューヨークへ行った。日本がアメリカのことを知っている程、アメリカ人は日本のことを知らない。デパート地下で売っている粗悪な服が日本製とわかり、恥かしかった。またメトロポリタンのオペラハウスで、マダムバタフライを観て、日本女性が、男に頼るかわいそうな存在として表現されているのが情けなかった。その時、これからの日本の女は、ジェットに乗って、颯爽とやって来るモダンな女であるべきだと思った。

ハナエ・モリの誕生

どういうやり方がいいのか、2〜3年日本で研究した。まず切れ地だが、和服の良い物はあるが、洋服地の良い物はなかった。そこで、オニシボ縮緬を買占め、西陣で帯地を織ってもらい、それも洋服に使った。モチーフとして蝶を選んだ。私は十日市という田舎で育ち、一面の菜の花畑を飛ぶモンシロチョウが大好きで、春のイメージといえば蝶だった。アメリカ向きに、華やかなアゲハチョウをスカーフに染めた。アメリカでは、それまでにないものが喜ばれる。幸せなことに、私は昇りのエスカレーターに乗ることができた。日本の伝統美に根ざしたものを、自分のアイデンティティーとした。これが、早く受け入れられた理由だと思う。いかに時代を先取りして、形にして見せるかもマーケティング戦略として重要である。10年して、ベトナム戦争が起こった。ファッションとは、平和な時の物で、戦時には、人はきれいなものを着なくなる。若い人たちが、破れたジーンズや手染めのTシャツを着る時代となった。私は、きれいなイブニングドレスを作るデザイナーにカテゴライズされていたので、時代とは合わない気がしていた。その時、グレース・ケリーがモナコにできる新しいホテルで、コレクションを発表してみないかと誘ってくれた。その帰りに、パリのモリソンホテルで、そのコレクションを見せたら、パリでオートクチュールをするよう誘われた。まだ東洋人が作る側にまわることが珍しい時代で、最初のシーズンは、周りの目は冷たかった。結局、27年もパリのオートクチュールにかかわり、54回のコレクションをした。

イラク戦争は、日本では遠い出来事だが、ヨーロッパでは地続きなので、中東からの移民も、パリには沢山いる。ベトナム戦争のときと同じく、シャンゼリゼや盛り場でも、ドレスアップしたマダムの姿は減り、ジーンズとTシャツの人ばかりになってきた。戦争では、きれいな服は必要とされなくなる。ベトナム戦争の時と同じ淋しい気持ちを味わった。

世界に誇れる日本の文化

今年の7月7日に、最後のコレクションを出し、9月に東京でも披露した。これからは、もう少し、人間を、日本人を磨きあげることに時間を掛けていけたらと思っている。日本人としての魅力とは何であろう。小柄で黒い髪で、眼も黒い。初めてパリに行った時、シャネルスーツを作った。忙しさのあまり、パーマもかけられず、腰までの長い髪をまとめていた。まっすぐの黒い髪は、当時の私にはコンプレックスだった。ところが、シャネルのアトリエで、その黒い髪をほめられた。日本はとても遠い国だけど、1年中、太陽が輝いている。黒い髪には、太陽の色が似合うと言われた。スーツもオレンジがいいと勧められたが、オレンジではPTAにも着ていけない。散々、議論して、ベージュにオレンジと黒のネップが散っているツイードにしてもらった。そのスーツを作る過程で、西洋の伝統に根ざした服作りを体験し、すごいと思った。体に触れるブラウスとスカートは、着心地が大事である。そのため、女性の体を熟知している女性のチーフが担当した。ジャケットは肩で着るもので、男性の背広に原型があるから、男性のチーフが担当した。西洋の生活の中で作られてきた洋服と、日本の暮らし方と、どう合わせていくかを考えさせられた貴重な体験だった。日本の感性は、アジアでも特徴的なものだと思う。今は世界的な日本ブームで、パリでも日本食やアニメが大人気である。先頃も、海老蔵のパリ公演があり、フランス人を感激させた。オペラとの違いに驚いていた。日本文化会館で、歌舞伎の衣裳展があり、久々に真近で見て感激した。どこの国にも見られない感性であった。勘九郎のニューヨーク公演も、初日に観ることができた。リンカーンセンターに、あの歌舞伎の幟がはためいているのが、一つのモダンなグラフィックアートになっているのに感激した。毎日、盗まれる程の人気だったと聞いている。日本の文化、伝統を大事にしなければいけないと改めて思った。

東と西の融合

パリで8人のデザイナーとジョイントのショーをした時、西洋人の服と自分の服を比べてみて、自分のものが少し暗く、寂しい感じがした。西洋では、足らないものを足していき、東洋では、余分なものを引いていく、つまり、プラスの感覚とマイナスの感覚の違いだと感じた。私は、東と西の出会いでやってきたが、これからは、出会いより融合が必要だと思う。勅使河原宏監督の「利休」という映画がある。その中に、一面に咲く朝顔をすべて摘み取り、たった一輪だけを秀吉のために、朝の茶室に活けるシーンがある。これは、一人の人だけに見せるための表現である。大勢の人に見せるには、プラスの感覚が必要になる。海外で活躍する日本人として、真っ先に挙げられる方に、小沢征爾さんがいる。彼が素晴らしいのは、自分のルーツを大切にしていることである。2人の子供を育てる時、自分のルーツを確立させることが、何より大事と考え、大学まで日本で教育させて、その上で、外国での勉強を加えていき、2人ともをグローバルな人間に育て上げたことだ。外国では、「あなたは、どこから来たの?」と問われる。自分の日本人としてのルーツをしっかりと持ち、日本の伝統や感性を知らないと、日本人として認められないこともある。まず、日本人としての自分の姿をしっかりとみつめ、日本人の感性を磨き、豊かにしていってほしい。

みんなで記念写真

今年度の基金の支援と主な寄付先

  • きつつき作業所
  • ネパ−ル支援組織「ポカラの会」
  • 嘉屋日米交流基金
  • イラン南東部大地震被災者救援市民募金
  • 2004ブレストケア・ピンクリボンキャンペ−ンin広島
  • セイブ・ザ・イラクチルドレン
  • 日本不耕起栽培普及会
  • 広島アニメ−ションフェスティバル
  • ダウン症親の会エンゼルフィッシュ寄付                  
  • ひろしまチャイルドライン子どもステ−ション寄付
  • 新潟県中越地震被災者(中国新聞社)

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